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研究職、理系男子31歳

人生の棚卸しと、自分の情熱ポイントに素直に生きようとしたことの記録

人生の棚卸し。その1 〜幼少期から中学校〜

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人生の棚卸し

生い立ちから研究職になるまでの経緯を振り返ります。途中途中でその時に印象に残っていることや考えていたことなどを書いているため、非常に長いです。

なお、いくつか理由はあるのですが、今考えると、自分は若干のコミニケーション障害(コミュ障)や発達障害(自分の場合は自閉症アスペルガー?)であると、自己判断しています。

この記事では、自分の人生を幼少期から中学校まで振り返ります。

 

このブログの説明について知りたい方は、こちらの記事を参照してください↓

yamadayoko.hatenablog.com

 

【目次】

幼少期(誕生〜保育所

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新潟県の山の近くに生まれ育ちます。最寄りの駅からの最終バスは夕方の6時50分という田舎です。両親が共働きということもあり、保育所には2歳から入りました。じいちゃん、ばあちゃんっ子でした。四人兄弟で上から兄、自分、妹、弟になります。2つ上の兄とは小さい頃から一緒に遊んだり、いじめられたり、いじめられたりしてました。その反動のせいかはどうかわかりませんが、自分は妹や弟をいじめたりしてました。また、朝から毎日叫んでました(笑)。なぜかというと、友達と遊びたいから。6時ごろに起きだして、家の横を流れる川の対岸(川と言っても小さな用水路。幅1mもないが、当時は決して渡ることのできない大きな川だった。)に住む友達の名前を、何度も叫んだものです。「おーい!◯◯!」と。しかも毎日。この毎日の叫びの効果か、声の大きさには定評がありました。このころは、やんちゃで同い年の仲間の中ではガキ大将だったと思います。ただ、悪ガキというよりは好奇心の塊のような人でした。こんな幼少期に自分の中に残るトラウマな出来事を2つ紹介。

トラウマな出来事1つ目

声がでかくて音痴なのにもかかわらず自己主張が大きったことから、音楽発表会で先生から「他の子の声が聞こえないから、あなたは歌わなくていい」と言われたこと。いやー、子供ながら、ちーんてなりました。ただ、悲しかったんですけど、声の大きさは自覚してたので、「確かに、友達の声をかき消すと、観に来た親は悲しいよな」と納得してました。どちらかというと、音痴だった自分に絶望的になりました。

トラウマ?な出来事2つ目

じいちゃんはカミナリ親父的な家の中での絶対君主で、近所でも恐れられていた人なんです。そんなじいちゃんから「おこづかいをあげるから手伝って」と、ちょっとしたお手伝いを頼まれました。兄は即答でOKしたんですが、何を思ったか自分は「いらないからやらない」って答えました。次の瞬間、殴られるっていう(笑)。すごく合理的な人だったんですけど、この時は理不尽でしたね。まあ、自分に可愛げがなかったのが原因ですが。これはトラウマというより、これ以上ない恐怖を味わったので、その後、偉い人と話す時や大勢の人の前で話す時への恐怖心が軽減された良い?思い出です。

 

とまあ、こんな感じで、幼少期は人並み以上に活発で感受性豊か。ちゃんと、というよりはものすごく自己主張をするような人だったと思います。もちろん、この時に将来研究職になるなんて思ってませんでした。

 

小学校

最初の頃は、小学校でも変わらず騒がしい人だったと思います。賑やかなグループにいたとは思いますが、周りとのバランスを考えながらちょっとずつ丸くなっていったと思います。人をいじめ、いじめられて、ですね。また、後で紹介するトラウマ出来事も関係します。学校では授業そっちのけで、理科や歴史の資料集(教科書の補助資料。絵が多くて見ていて楽しい)を貪るように見てました。また、登校してから授業が始まるまでの時間や授業の間の休み時間は、必ず体育館やグラウンドでバスケやドッチボール、サッカーなどをしてました。クラスに一人はいる、ご飯は早食いで、運動バカ。また、雪深い地域にもかかわらず、年中ハーフパンツで過ごすような(笑)、子供でした。こんな小学生の頃に自分の中に残るトラウマな出来事を2つ紹介。 

トラウマな出来事1つ目

好奇心の塊だった自分は、落ち着きがなく、感受性が豊かで何事にも反応してしまうたちだったんですが、仲の良かった友達の母親に、「落ち着きがなく、びっくりしちゃう。あなたは嫌い」的なことを言われたこと。悲しくなりました。ただ、感受性豊かで落ち着きがないことは自分でも自覚してたので、「もっと落ち着いた方がいいのか」と、自分のダメさ加減に落ち込みました。そして、人って怖いなって。人から嫌われるって嫌だなって思った最初の経験かもしれません。

トラウマな出来事2つ目

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小学校3か4年生の夏、じいちゃんが死にました。初めての身近な人の死。家の中での絶対君主で、母も何度か家出するくらい、厳しい人でした。それでも、亡くなった時に母は、「おじいちゃんは言葉がきつかったけど、すごい人。もっと町内会などでも評価されていい人だった。」と、じいちゃんに対する町内の方たちの対応に、悔し・悲し涙を流して言っていたこと。家出をさせた人にそこまで言わしめたじいちゃんは、今でも自分中でのヒーローの1人です。本当に厳しい人でしたけど、そんな人でも命が尽きる。正直にいうと、そんな人の命の儚さを、受け止められない自分がいました。恐らくここから、自分の中で時が止まったかのように感情の起伏が少なくなります。好きになった人が亡くなるくらいなら、好きにならない。それまで好奇心旺盛だった自分は、他人への興味を心の中に押し込めました。

 

とまあ、こんな感じで、小学生のときはある程度活発で自己主張もしていましたが、急激に落ち着くようになりました。興味を人からモノ(資料集や本、マンガ)にシフトさせたのかもしれません。もちろん、まだこの時に将来研究職になるなんて思ってませんでしたが、理科系のものや現象に興味を持ち始めました。なおこの時は、パン屋になりたいなって、なんでかは不明ですが思ってました。

 

中学校

騒がしい仲間の周りにいたので、騒がしい人だったのかもしれません。できていたかは不明ですが、何事にも客観的に見て対処する自分ができはじめていました。小学校までは成績が良かった方でしたが、中学校では中の中か、中の下くらいでした。自分なりの勉強法を持っており、先生とは何度ももめました。ノートは書かず、ひたすら聞くスタイル。数学などの問題は、「お前も解いた過程を見せろ」ということでホワイトボードを自分で用意して、解いてました。あまりにも他の人と同じように勉強しないので、教室の床に正座や先生の机の隣に移動させらるなど、問題児の1人でした。でも、いわゆる不良の威圧的な態度ではありません(クラスで一番チビだったので、そんな威圧は出したくてもでない)。勉強には興味がありませんでしたが、小学校の頃から興味のある理科の参考書に書かれている内容など、自分の興味のあることに熱中して取り組んでいました。こんな中学生の頃に自分の中に残る出来事を2つ紹介。

出来事1つ目(トラウマじゃないよ)

休み時間は毎度のように他のクラスで騒いでおり、先生からは自分のクラスで大人しくしてろと言われました。悪いことをしてるわけではなく、なんで信用しないのかと問うたところ、一言「あんたらのことなんて信用できない」(笑)。うわべばかりのことを言う大人たちの中で出た先生のこの正直な一言は、すごく信用がもてました。

出来事2つ目(これもトラウマじゃないよ)

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小学校からなのですが、プロバスケットボールプレイヤーのマイケルジョーダンに憧れてました。いつかダンクが、というより重力を忘れてしまうくらい飛んでみたいなぁと思って、休み時間や部活の時間は筋トレ、というより、ひたすら飛んでました。廊下の天井や教室の天井にぶら下がってるロールスクリーンなどに向かってひたすら。友達からはバカ扱いされてました。それも当然、学年でも一二を争うチビでしたからね。また、スノーボードに熱狂的にはまってました。お金もないので、自分で登って滑ったり、新雪に向かうようにジャンプ台を作って飛んだりしてました。土日はほとんど、そしてたまに金曜日のナイターも行くなど、週に最低でも1回は行ってました。

 

こんなように、中学時代は騒いではいるグループにいるが、時に静かに、時に騒がしく過ごしていた。そんな感じです。0930(おくさま)の山田君そのままだと言われたことがあります。(歌詞を見返しましたけど、成績は優秀ではありません)。同じ世代の人は知っているはず。山田君 0930(オクサマ) 歌詞情報 - 歌ネットモバイル

 

中学校でも、まだ研究職になりたいとは明確には思ってませんでした。ただ、スーツを着て働くのは嫌だなってのと、スノーボードに熱狂的になっていたので、いつか自分好みのスノボの板を作りたいなって思ってました。

 

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